たちは慣れたもので、誘導員の笛ひとつでピタリピタリと章をみごとに並べていく。自宅の駐車場へ車を入れるのに、何度も何度も切り返しているサンデードライバーたちに、いちど見せてみたいほどである。
水島で始まった荷役は、広島、豊橋、横浜と続き、倉内はみるみる車でいっぱいになった。四千台を超える車がぎっしり並ぶと、なかなか壮観なものである。日本の主だった輸出車がズラリと揃っており、ちょっとしたモーターショーの趣があった。「あの車はいいね。こんど下船したら、あれを買おう」
「すごいスポーツカーを積んでいますよ。輸出仕様らしくて、エンジンも大きいみたいですよ」
車好きには、こたえられない話である。それまで車にはあまり興味のなかった私もこの船を境に、すっかり車が好きになってしまった。車の種類を一目で見分けるのはもちろん、エンジンの形式などもすらすらと言えるようになったのだから、我ながらたいしたものである。もっとも、自動車専用船に乗った人の多くは、そうなるものらしかった。
車が好きであれば、貨物である車も、自然と大切にすることになる。将来のオーナーの気持ちが削るからこそ、小さな傷もつけたくないのだ。
そのために、航海中も厳重な貨物管理は欠かせない。ラッシング(固縛)状態の点検はもとより、倉内の温度や湿度にいたるまで、毎日の巡検で、全ての車に細心の注意を払い続けるのである。

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さて、我が“とうきょうはいうえい”が目指すのは、北米東岸…。パナマ運河を抜け、ジャクソンビル、バルチモア、ニュー
アーク、ボストンなどの主要港で、順に車を揚げていくのである。
荷役中、アメリカ人の現場監督に「ハーンダ、ユーノウ?」などと言われて、最初の頃はおおいに戸惑ったものである。
“ホンダ”の発音が、アメリカでは、“ハーンダ”…。もう完全に米語になっているのだ。“トヨタ”“ミツビシ”をはじめ多くはまともに聞き取れるものの“マツダ”とくると、もう判らない。最初に強いアクセントがあるので”マツダ”という名前を連想できないのだ。そして極めつけは“ダッツン”である。これは”ダットサン”のことなのだが、彼らは何の疑いもなく“ダッツン”と発音していた。
車に乗り込もうとした白人のドライバーが、私の肩をポンと叩いた。
「俺は、車が好きでこの仕事をしているんだ。そして、友達にいつも言ってるんだ。俺はいつも日本の高級車に乗っているんだぜ、ってな。嘘じゃないだろう?」
軽くウィンクをした笑顔の、なんと爽やかなこと…。日本人には、なかなか真似のできないところである。
「ヘイ、自由の女神へ行ってきたかい?」「いや、時間がなくって…」
「そうかい、そいつは残念だな」
ニューアーク(ニューヨークの隣港)へ行きはしたものの、短い停泊時間では、上陸もままならない。この後、私は三度もニューアークヘ行っているが、自由の女神はいつも遠くから眺めるだけだった。
“なんとしても、自由の女神の頂上へ登りたい…”
そんな思いが満たされたのは、これから五年後。休暇中にニューヨークヘ旅行した時のことだった。(川崎汽船(株)一航士)

 

 

 

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